思いのままにゆる~く生きてみる

楽しみながらゆる〜く生きてる日記。

白虎隊の眠る飯盛山に行ってきました。その①

こんばんはつけみゅうです。

 

歴史に触れてみてはいかがですか?

 

過去があるから今があり、今があるから未来がある。

 

自分たちも歴史の一員ですね^^

 

さて、福島旅行で会津若松方面に行くなら、

 

飯盛山は外せません!!!

※個人差あり(笑)

 

1868年1月27日

鳥羽伏見の戦いから始まったのが「戊辰戦争

日本最大の内戦です。

通称五稜郭の戦いで1869年6月27日土方歳三が戦死し旧幕府軍は新政府軍に降伏し戊辰戦争終結しました。

 

1868年8月22日(旧暦)に会津若松城へ迫る新政府軍に対して劣勢の旧幕府軍

ついに白虎隊士二番隊42名に出陣の要請があり、戸ノ口原に向かうことに、、。

16歳から17歳で構成される白虎隊37人と大人5人からなる部隊。

初陣ということもあり、子供ということもあり、血気盛んにお国のためにとはせ参じたことでしょう。

しかし、現実は、、、装備が違いすぎる。

当時最新鋭新政府軍の鉄砲や大砲、戦力も相手が多い中、刀一本で挑む少年たち、、、、敵に切り込む前に仲間がどんどん打ち取られていく、

歯が立たないという現実に、恐怖や絶望、無力感を感じていたかもしれませんね。

命からがら次々と退却していったのも仕方のないことです。

 

隊士の数には諸説ありますが、白虎士中2番隊20名は命からがら150mの

戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)を通て飯盛山に、、、、

この写真が出口です。くらい洞窟のなか、今の歴でいえば10月初旬のこの水の中、どんな気持ちで逃げてきたのか考えると胸が痛くなります。10月21日の時点では水はだいぶ冷たかったです。

命からがら逃げてきて、会津若松城が見える丘に急ぐ白虎隊20人。

この坂を駆け上ったのかもしれませんね。

 

今は整備されてますが、当時は山道でもっと細い道ではなかったでしょうか。


これも諸説ありますが、この地にて白虎隊20人は自刃。

一人、生き残ることができましたが。

 

この丘にて、燃える城下町、自分たちの町が燃えていることに心の葛藤があったことでしょう。

しかし、

新政府軍との軍事力の差をマジマジと経験した彼らには、

「敵に捕まり捕虜の辱めを受けるくらいなら、ここで自刃しよう」

、、、、

いつも亡くなるのは下の者が多いですね。

会津では婦女子もわかるだけで233名がお亡くなりになり、その大半が自刃。

西郷邸の21人の自害も良く知られていますね。

 

当時のお殿様や榎本武揚さんは57歳、73歳まで生きたんですよね、、、。

 

時代がそういう時代とはいえ、出来ることなら自刃しないで生きてほしかったな。

当時の人からは、平和ボケのたわごとと言われるかもしれませんが。

 

彼らが最後に見た会津若松の城下町、時代は変わり、景色も変わりましたが

平和な会津若松がここにあります。

ご冥福をお祈りいたします。

 

今回は白虎隊に思いを馳せる記事となりましたが、次回は観光地としての飯盛山を記事にしたいと思います。

 

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